歩き出すとき・・・

私はね、

人って、

「もうこれ以上落ちない!」って言うところまで落ちると、

上がってくると信じています。

海底を思い切り足で蹴るように・・・。

 

「自分には、もう何も無くなってしまった・・・」と

絶望しきると、

「もうこれ以上無くすものはないから、

 好きなようにやってみよう」

と思えるんじゃないかって、信じています。

それは、お金をかけないものでもいいのです。

 

見渡す限り何も見えないなぁ・・・と、

白紙のような目の前を、

または、焼け野原の様に焼け切った状態を、

ありのままに感じる事が出来たなら、

目の前に、

「一輪の花を植えたいなぁ」って、

雑草を植えてみようかなぁ」って、

思えるんじゃないかって、信じています。

 

何が悪で、

何を良しとするか?

 

それを考えた時点で、

ジャッジが生まれるんです。

 

私、偉そうなことを書いていますが、

嫌な事はイヤだし、

都合の悪い事は悪だと判断してしまいます。

価値観(~すべき。とか)の鎧を幾重にも着てます。

 

でも、そんな時に思い出します。

「悪と思ってしまうその事」を、

「悪」と決めつけてしまう事こそが、

自分を苦しめる事じゃないか?って。

 

「知らんこっちゃない体操」には、

その苦しみを、星飛雄馬のお父さんが、

ちゃぶ台を「え~い」ってするように、

「まず、その苦しみを、一度手放してみたらいかがかな?」

という思いが込められています。

 

その後に、同じ思いに戻るも良し。

何かがふっきれて、

「あっ!これやってみよっかな?」って

思って行動するのも良し。

「ボーーーー」っとするのも良し。

 

どんな形であれ、最初の一歩を踏み出すのだと思っています。

ココロに小さな小さな灯りを灯して。

 

小さくとも、その灯りは強く、ブレない明るさであると

信じて・・・。