疑う+はずれる+罪悪感=♪

例えば、

何かを疑う自分がいたとする。

 

何かが起きた時、誰かを疑ったり、

何かを疑ってしまう自分が嫌だとする。

 

そんな時、

「そんな私はダメ!自分は違う!もっと優しいはず!

 疑ってはいけない!」

 

って、「疑ってしまう自分」を無くそうとしたり、

認めなかったりすると、

なぜか、もっと気にするようになっちゃうから不思議。

 

そんな時は、私はこう思ってみます。

 

「あっ、疑ってる私も居るんだ・・・へぇ~。

 私、今疑ってるぅ~。疑ってるわっ!」

 

ただ、味わうだけです。

 

「疑う」を排除しないし、

「疑い」を「悪」としないで、

ただただ「そんな自分もいる」って思うだけです。

 

すると、

そのうち、疑っていたものが濡れ衣だったということが

後で分かることがあります。

 

「はずれ」です。

 

根拠のない「疑い」という「勘」が見事にはずれます。

 

(ただ単に、私の勘が鈍いだけかもしれませんが。)

 

その後は、罪悪感が待っています。

 

本当は、そうじゃないのに、

私は疑ってしまった・・・ってね。

 

それが続くと、疑う事がバカバカしくなってきます。

 

「疑っても、どうせ、はずれる。」

 

するとね、前よりは気持ちがラクになっているんです。